おすすめのブログ 2026年9月6日 「人新世の黙示録」を読んで 「暗黒社会主義」は生存のための旗印なのか

 

 

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斎藤幸平の訴えは強く、しなやかだ。

国際NGOオックスファムの報告書(二〇二四年)によれば、上位一%の富裕層は、世界の下位九五%の人々の総資産額よりも多くの富を保有しているという。  (P.32)

金と権力を握る人たち、すなわちグローバル・ノースのエリートたちが進めている危機への適応策は、自分たちの既得権益を守るために、共有財であるべき〈コモン〉を独占し、反リベラル、反人権、反民主主義の体制を構築するというものだ。その結果、気候ファシズムとテクノ・ファシズムが融合した選民的な終末ファシズムが世界を覆い始めている。
……
今後、次々と襲ってくる災害によって、土地や住居や生活の糧を私たちの多くが失うことになる。破局的状況の結果、さらなる差別や搾取に苦しむことになる弱者が、社会の多数派となっていく。そう、私たち環境弱者は、自分たちの手で命を守るために、救助や復興のプロセスを通じて、ポスト資本主義社会をつくり出さねばならない。
  そして、そのような新しい社会への移行期に求められると本書が考えるのが、環境弱者による「エコロジー独裁」(以下、エコ独)だ。エコ独とは、資本主義がもたらした荒廃のなかに命を守る社会をつくろうとする緊急の防衛戦である。そして、その先にあるのが「暗黒社会主義」にほかならない。”  (P.160)

 

「暗黒社会主義」(私なりに言い換えれば「ラディカル社会主義」)に興味を持ちませんか?!!

 

 

斎藤幸平のいう「暗黒社会主義」とは

斎藤幸平のいう「暗黒社会主義」とは、気候危機や資源不足、格差、戦争などによって「豊かな成長」が続かなくなった未来を前提に、それでも人間が共同で生き延びるための社会のあり方を考えるものである。
「暗黒」とは、明るい豊かな未来ではなく、欠乏が常態化する厳しい現実を意味する。そこで斎藤が重視するのが、国家による一元的な管理でも、市場への全面的な委任でもなく、市民や労働者が生活や経済の意思決定に参加する「ラディカル民主主義」である。
住宅、医療、交通、食料、エネルギーなど、生存に不可欠なものを商品として競争させるのではなく、コモンとして共同で管理する。また、生産についても「何を、どれだけ作るか」を企業や市場だけに任せず、社会的な必要に基づいて民主的に決める。過去の社会主義が陥った国家独裁を繰り返さず、欠乏の時代だからこそ民主主義を経済の領域まで広げる。これが斎藤の「暗黒社会主義」の核心である。

 

 

胆(きも)となる内容をまとめると以下の通り。


 

この本を読んで、私が一番引っかかった言葉は「暗黒社会主義」である。
社会主義という言葉には、ソ連や中国などの歴史から「独裁」というイメージが付きまとう。
それなのに、なぜ斎藤幸平は、あえて「暗黒社会主義」という言葉を使うのか。
そこから、独裁とは何だったのか、民主主義とは何なのかを調べてみた。


貧しきものの独裁の復権を!  熱く語る。――斎藤は、そう読めるほど大胆な議論を展開する。
現代の独裁政治を肯定する意味ではない。


斎藤幸平は「人新世の黙示録」でパリコミューンの経験から独裁について次のように主張する。


パリ・コミューンで実施された①労働の民主化、②市民権の解放、③徴発・徴募、④配給制と接収、⑤禁止措置が、私たちにインスピレーションを与えてくれる。これらを気候崩壊の時代にアップデートするのだ。  (P.169)


「エコロジー独裁」を理解する

「独裁」という言葉は、最初から現在の「独裁政治」という意味だったわけではない。
非常時に権力を集中する仕組み → 革命を守るための独裁 → 階級支配としての独裁 → 全体主義的独裁 → それへの警戒という変化をたどってきた。

独裁をめぐる思想史

1.古代ローマ――「独裁」は非常時の合法的制度だった 紀元前5世紀頃~

ローマ共和政の「dictator(独裁官)」は、現在の独裁者とは大きく異なる。戦争や重大な危機が起きたとき、通常の政治手続きでは対応できないと判断されると、一定期間、一人に非常大権を集中させる制度であった。任期は原則6か月で、危機が終われば権力を返すことが期待された。有名なのが紀元前458年頃のルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥスである。伝承では、危機に際して独裁官となり、敵を撃退すると権力を返して農村に戻ったとされる。重要なのは、古代ローマでは「独裁=反民主主義」ではなく、共和政を守るために一時的に通常の政治を停止する制度だったことである。しかし後のスッラやカエサルになると、独裁官職が長期化・恒久化し、共和政そのものを変質させる。ここから「非常時の権力集中は、どうすれば非常時だけで終わるのか」という問題が生まれる。


2.ジャン=ジャック・ルソー――人民主権と「独裁」 1762年・フランス

ルソーは『社会契約論』で、主権は国王ではなく人民にあると論じた。ただし、非常事態には通常の法律を守っているだけでは国家を救えない場合があるとして、一時的に政府の活動を停止し、非常権限を委ねる可能性を認めた。ここでも独裁は恒久的な政治体制ではなく、人民の主権を守るための例外措置として考えられている。しかし問題は、「何が非常事態なのか」「誰が非常事態を宣言するのか」である。権力を集中させた側が「まだ危機は終わっていない」と言い続ければ、例外が常態化する。フランス革命以降、この問題が現実の政治問題として爆発する。ルソーの思想は「人民による民主政治」を強く打ち出した一方で、人民の意思を実現するために通常の制度を停止できるのかという、後の革命独裁につながる問題も含んでいた。

(略)

全体の文章は、グーグルドライブのPDF を見てください。

人新世の黙示録_独裁の考え方の系譜.pdf – Google ドライブ

 

 

斎藤幸平の主張を肉付けする「実践」の歴史

 

― パリ・コミューンから現在まで

ここでは、単なる思想家の紹介ではなく、「国家にすべてを任せない」「経済を民主化する」「市民・労働者が自分たちで社会を運営する」という方向を実際に試みた事例を時系列で追う。

1.パリ・コミューン  1871年/フランス・パリ

普仏戦争後の1871年3月、パリで市民・労働者による自治政府「パリ・コミューン」が成立した。選挙で選ばれた代表者は市民から監視され、必要なら罷免できる仕組みが構想された。行政を専門家や官僚だけに任せず、市民が政治に直接関与することを重視した。また、放棄された工場を労働者協同組合として再開する構想も進められた。コミューンはわずか約2か月で政府軍に鎮圧され、制度として定着することはなかった。しかしマルクスはこれを、既存の国家機構に代わる労働者の政治形態として評価した。現在の斎藤の議論から見ると、ここで重要なのは「革命政府」というより、代表者を市民が統制し、政治と経済を社会の側へ取り戻そうとした試みである。パリ・コミューン自身も「自治」「市民による監視」「代表者の責任」を重視していた。

斎藤との関係:
「市民自治」「代表者の罷免」「労働者による経済運営」という発想の原型である。


2.赤いウィーン  1919~1934年/オーストリア・ウィーン

第一次大戦後、ウィーンでは社会民主党が市政を担い、いわゆる「赤いウィーン」と呼ばれる社会民主主義的な都市改革を進めた。最大の課題は住宅不足であり、累進的な税制などを財源として大量の市営住宅を建設した。1934年までに6万戸を超える住宅が建設され、住宅だけでなく、幼稚園、診療所、図書館、浴場、文化施設なども組み込まれた。
これはパリ・コミューンのような直接民主主義ではない。選挙で選ばれた自治体が、税を集め、公共住宅と社会サービスを整備する「自治体社会主義」である。したがって、斎藤のコモン論とは違い、国家・自治体による公共政策という側面が強い。しかし、「住宅は市場の商品だけではなく、社会が保障すべきもの」という考え方を現実の都市政策にした点は重要である。1934年に政治体制が崩壊しても、多くの住宅は残り、後のウィーンの社会住宅政策につながった。

斎藤との関係:
「生活に必要なものを市場だけに任せない」という思想を、住宅という具体的領域で実践した例である。

(略)

その後も、労働者協同組合、参加型予算、地域自治など、「国家にすべてを任せず、市場にもすべてを任せない」試みは各地で続いている。

全体の文章は、グーグルドライブのPDF を見てください。

「暗黒社会主義」のヒントになる歴史的実践.pdf – Google ドライブ

 

もちろん、斎藤の提案が本当に実現可能なのか、過去の社会主義が経験した問題を乗り越えられるのかは、現在の営みにかかっている。
私自身も考え続ける。そして、行動も……