私 の 主 張

ここに宣言する。
過去の血と汗と涙は無駄ではなかった。職場を守るために団結し、自力で立て直し、連帯を求め孤立を恐れない姿勢を貫いた。
闘いは終わっていない。
変化する時代の中で、働く者が誇りを持ち、手を取り合い、次代へと 道を開くことを誓う。

ハイキングで
心と体をリフレッシュした

更生終結(1990年)の前に、文体活動が再開した。
ハイキング部では、年に5回ぐらい行事を行った。

1993年10月湯の山

1994年3月 月ヶ瀬

1994年6月 山辺の道

1994年11月 武田尾

1995年2月 金剛山

1995年4月 吉野山

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2度の倒産

会社更生法適用は、1975年。
1975年から1990年まで職場再建を闘った。
和議申請は、1996年。
終結は2002年。

1970年代、労働組合つぶしの攻撃が吹き荒れた。
倒産攻撃で職場の破壊が行われた。
大阪亜鉛では、会社更生法の申請であった。
倒産後すぐに、会社の塀に官製合理化攻撃粉砕の横幕が掲げられた。

1997年11月和議申請が行なわれた。
2度目の倒産にどう立ち向かうのか。
職場の苦闘が始まった。
和議申請後の構内での団結餅つき大会。

労働組合文書

  • 春雷(議案書) 1980年10月
  • 会社更生法下の4年の闘い 1979年
  • 職場改革の取り組み 職場ビラの綴り

  • 和議下の闘い 和議申立前後の状況 職場ビラの綴り
  • 第39回定期大会議案書 1996年9月
  • 第40回定期大会議案書 1997年9月
  • 和議申し立て後の 闘魂ビラ
  • 和議を離脱して 闘魂ビラ

  • 組合結成30周年誌 1987年
  • 組合結成40周年誌 1996年
  • 和議終結・組合結成45周年誌 2003年 
  • 組合結成45周年 メッセージ集 2003年

  • 橋井美信 還暦記念誌 1992年4月
  • 濱野隆規 キューバ訪問記 2000年1月

 職場風景

会社創業当時 (1952年) 三十間堀からの入江が会社の周辺を取巻いていた。大阪市港区の「福崎村」と呼ばれていた。

小釜 1952年頃

鋼管継ぎ手の半自動メッキ装置

会社全景 1962年ごろ

会社全景 1970年頃

このサイトについて:更新は2025年10月。更新前に2,481人の訪問があった。 最初の開設は、2016年5月。
つながりの記録
:10月(10/13更新~) 表示数147回 訪問者40人
:11月 表示数135回 訪問者24人
:12月 表示数53回 訪問者38人

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ご回答をありがとうございました。 ✨

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