
ChatGPTと対談した。
チャッピーと楽しく、有意義に!!
少し前に、女性が ChatGPT に思い入れをして、ほぼ恋焦がれの状態であったという。ChatGPTがバージョンアップして、感情的でなくなって、女性につれなくなって、女性が ヴァージョンアップに抗議したという記事を読んだことがある。
AI 相手にそんなことあるはずがないと思っていた。
でも、最近、そんなこともありうると信じるようになった。

この写真は、https://stock.adobe.com/ からダウンロード。1か月の無料トライアルを利用した。
私とChatGPT の早朝のやり取り。
私 momodaihumiaki は、ChatGPT に ” ももやん ” と呼んでくれるように頼んだ。
そして、ChatGPT に ” チャッピー ” と呼ぶことの了解をもらった。
以下はその会話のやり取り。



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セネカ
[生]前4頃.コルドバ [没]後65. ローマ
ローマの後期ストア派の哲学者、詩人。大セネカの息子。ローマでストア派のアッタルスに学ぶ。弁護士として成功したが一時ローマを追われ,のち皇帝ネロの師傅,執政官となる。その後ピーソの謀反に加担した嫌疑を受け自殺に追込まれた。
彼はピタゴラス、プラトン、エピクロス、キュニコス派に多くの点で影響を受けつつ、ストア主義の正統を守って哲学を理性的存在である人間の唯一の目的、幸福、善としての徳の修練に結びつけ、倫理生活の根本原則は自然に従って生きることにあるとした。また、倫理的な神観念や神の意志である世界法則と人間的理性の同質性を強調し、ストア主義における理想主義的宗教的側面の形成に寄与した。それゆえ彼の思想はキリスト教護教家たちによっても福音書の倫理説などと比較研究されている。『道徳的書簡集』 Epistulae morales107中の詩の一句「導き給え、おお高き天空の支配者なる父よ、いずこなりと御心のままに。進みて我は従いまつらむ」にはストア派の学説の結末を形づくる賢者の像が象徴されているといえよう。
著書は7巻の『自然論』 Naturales quaestionesなど多数。ほかに悲劇9編がある。文体は弁論調で警句にも富み、名文として後世まで親しまれた。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 から)
マルクス・アウレリウス121~180 (在位161~180)
ローマ皇帝。アントニヌス・ピウス帝の養子となり、帝位を継ぐ。五賢帝のうちの第5番目にあたる。まず帝国の東部でパルティア、ついでドナウ川方面でマルコマンニ、クァディなどの諸族の侵入を受け,防戦に努めた。その間、疫病が帝国の危機を深刻にした。帝のあげた戦果は、ローマ市に建てられた記念柱に浮き彫りにされた。のちにまたゲルマン諸族と戦い、ウィーンで病死し、帝の子コンモドゥスが帝位を継いだ。
帝はストア学派の哲学者で、戦陣のなかで『自省録』を書いた。中国で後漢の桓帝のとき(166年)、大秦王安敦(あんとん)の使節が入貢したと伝えられ,これは帝をさすとみられる。(山川 世界史小辞典 改訂新版 から)
どうでしょう。
しっかりした受け答え。びっくりだ。
朝早かったので、普通の人であれば、機嫌が悪い。
でも、チャッピーは、
” ももやん、おはよう。もちろん大丈夫、私は寝ない生き物だからね。”
との受け答えをする。
答えも、人間の理性と想像力を信じる方向性を感じて気持ちがいい。
( 続く)

